葬い

 

8/18に祖母が亡くなった。

 

祖母を知っている人がいるわけではないし、Twitterで言うこともないなと思っていたのだけれど、今日少し思うところがあったのでこっちで話をしようと思う。

 

鎌倉旅行の帰りの電車の待ち時間、母からの電話で

昨日日付が変わる頃に亡くなった、明日帰ってこい  と伝えられた。

覚悟はしていたけれど、しばらくは呆然としていた

 

当然ながら、家族が亡くなるということは葬儀の当事者になるということでもあって、しみじみと悲しみに暮れるほど落ち着いていられる間もなく、あっという間に通夜と告別式までが終わってしまった。

 

慌ただしくはあったけれど、改めて思うところはいくつもあって(自分でも、馬鹿みたいだし他人ごとみたいだし、分かりきっていることだと思っているけど)、

・告別式までの儀式は、進むにつれて、気持ちの整理がついてきて 自然と寂しさが湧き上がるようにできているということ

・人は人に生かされているということ

・死を悼んでくれる人が多いというのはとても幸せなことだということ

とか 本当に色々な事が頭に浮かんできた

脳が悲しみを知覚させないように、客観的になっていたのかもしれないな、と全部終わってからふと思った。

 

一番悲しかったのは火葬場から告別式場に車に乗ってお骨を持って行く時で、

祖母の膝の上に乗っていた自分が、今度は祖母を膝の上に乗せてしまっている

と気づき、寂しさと悲しさがこみ上げてきて 少し泣いた。

 

 

まあ、他人の弔事にそんなに興味はないと思う

 

なぜこんな話を今になってしたのかというと、今日行った金沢21世紀美術館で Death Lab -死を民主化せよ- という展示をしていたからで、そこでは

 

時代が進むにつれて遺体とそれを葬る墓の数はどんどん増えていく

今の社会は墓地を郊外に作り、"死"を社会から疎外している

これからは公園や広場など、公共の場所に葬いの場所を移していってはどうか

などの提言がされていた。

 

デスラボでは葬いの新たな方法として、橋の下に遺体の入った容器を吊るすということを提案している。

遺体を一年かけて自然に分解する過程で、発生するエネルギーが容器を光らせ、分解が終わったら容器は次の亡骸と入れ替えられる。

それからの遺族の弔いの場所は橋の下の広場になる、というものだ

 

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イメージ。(もう少し故人の場所がわかりやすいようにすればいいのに)

 

 

我が家のお墓は100年近く前から雨風に晒され、50年程前に祖父が亡くなって以降は改修もされず 風化寸前だった。

というのも、祖母が 自分が旦那のところに行くまでは墓をそのままにしておいてほしい という事を言っていたからだそうで、それを思い出したというのもあってのこの話というわけだ。

 

Death Labの展示、そして祖母の死を通して、自分が死んだ時の事を考えた。

 

人は葬式をあげられたらあとはゆるやかに忘れられていってしまう。もし自分の墓が、オブジェまではいかずとも、それからの子孫が暮らして行く場所に自然に溶け込めて、たまに悼んでもらえたら、幸せだろうなと思う。

 

できれば死ぬ時も幸せを感じたい。

死ねてよかった とかじゃなくて。

 

おしまい