ぐちゃぐちゃの頭の中をどうぞ

考えたくないことは考えないようにして ヘラヘラ笑いながら生きている

 

友人は 前に進むために

僕はずっとここにいるために思考を巡らせ それでもお互いのことを友達だと思っている それもいい 違うから惹かれ合う

 

 

 

 

 

 

人を見放し 人に見放されて また出会う

アパートの端に付いている螺旋階段のように 繰り返し 狭くて かわりばえのしない人生だ

 

 

 

たまに過去の愚行を叩きつけられ 思考が止まってしまう

 

嘘つきのパラドックスを処理できず動作停止するAIをアニメで見た それに近い

 

僕にとって答えの出ないことについて考えるのは夜更かしと似ている

またやってしまったと虚しくなるだけだ

でもどこか魅力があって 始まると疲れるまで惰性で続けてしまう

 

というわけだ

明日も早いのに26時まで起きてしまった

 

 

昨日寝坊したのに懲りないなあ

 

外のバイクがうるさい

 

 

 

 

 

 

 

もう目覚めたくないという 緩やかな希死念慮を持って 目を閉じる

4、偶然、運命

運命論者だ

 

 

 

中学のころ 自転車通学者に配られるナンバープレート(学年ごとに色が違って 何か問題が起きるとすぐ特定できる ノーヘルとか)の番号が44番だった

 

4という数字は日本では忌み嫌われることが多いが うちの母はポジティブ人間なので、「良い」の「4」だと思いな! その方がいいじゃん、と昔から言っていて まんまと同じ思考になってしまった

 

そういうわけで僕は44番を気に入っていた(1年4組だったのでなお気分が良かった)

 

自転車を倒してナンバープレートを割ってしまい、代えがないので空いている番号から選べ、と言われた時も104番にした(本当は4番が良かったのだが そんな若い番号は当然余っていなかった)

 

僕の4好きはそれからずっと続いていて、時計を見て4:44とか16:44だと「おっ、やったね」という気持ちになるし 泊まったホテルで◯04号室の鍵を渡されると 「忌み数なのに珍しいな」とちょっと得した気分になる

 

そういえば前の恋人と初めて会った時に行った場所の予約番号が4425番で、おっ、と思ったものだった(もう4から始まれば何でも良くなっている)

何なら その初めて会った場所がゲーム実況者「幕末志士」のコラボカフェであり、彼らはスラングで「bkmt44」「44」と呼ばれていた

 

こういうことが幾度も起きると、頭の中で偶然が運命に変わっていくような感覚になる

 

 

 

 

 

家へ帰る特急の中で 本屋でたまたま手に取ったエッセイを読んでいると、「喫茶コロナ」という文字が現れた

 

平成二十一年版の本なのに!だんご三兄弟の話もしてるのに!こんなこともあるものか、と安い感動をし読み進めていると、山梨の温泉会館に行ったという話も出てきた

 

これは運命だ!と思い 筆を取ったというわけだ(ブログを書くのに「筆を取る」のもおかしいけど)

 

 

 

 

長々と書いているが 要するに僕はオメデタい人間なのだ

 

でも、このくらいでいると ちょっとしたことで幸せになれるのも事実で、気になっている人が僕の好きなバンドの ニッチな曲を知っているだけでときめくことができるし、2ちゃんねるの「ノスタルジックな画像集めようぜスレ」(突然俗っぽくなってきた)を同期が同じ頃に見ていたのを知れば こんな偶然あるんだ!やっぱりこの人とは気が合うな〜!と思える

 

さらにおめでたいことに、この法則は「嫌い」方面では適用されないのである

 

僕が嫌いな作品を嫌いな人がいても別に何とも思わないし 好きな人が僕が嫌いな作品を好きでも嫌いにはならない

 

花占いみたいになってきた そろそろ終わるか

 

 

 

これからも僕は4が好きだし たまたま地元が出てくる小説を好んで読むし 趣味が合う人のことをどんどん好きになるのだ なんておめでたくて幸せなんだろう 

 

 

 

これからも ひねくれたチャチな運命を信じていようと思う

歌詞

 

ドライフラワーを燃やして 取っておいたお揃いのタバコの空き箱を燃やして お揃いの茶碗を割って 火にくべた 燃えないゴミ

 

よく燃えそうな 空虚な日々の消費

 

歌詞の中の君はずっと同じ

 

生きながらくたばっている

 

みんなに聞こえるでかい声で歌い出したい夜

 

ぐちゃぐちゃの心 ぐちゃぐちゃのままで 死ぬまで生きてやろう 

 

大人になったお前の代わりに 実体のないものをずっと考えていてやるから 無理して笑っていろ

何者にもなれないまま

 

思い立って なかなか消せないでいた元恋人の写真を全部消した

 

旅行に行った時の風景の写真とかも全部消そうと思ったけど せっかくよく撮れているしな、と踏みとどまり 恋人の顔が写っている写真だけを消した

 

5年後か10年後か(そもそもそんな先のことを考えられるような生活はしていないのだけど)、旅行先の綺麗な風景とか 撮ってもらった写真を見て、黒く塗りつぶされた誰かの顔と 楽しかった旅行の記憶だけが残っていればいいと思う

 

恋人との関係は 相手を独りよがりに傷つけて終わってしまった 

他人を傷つけていたという咎は 精神に一生刻み込まれて 思い出される度に馬鹿な事をした自分を消してしまいたくなるだろう

 

でもそんなことはできないのだ フォルダから写真を消してしまうように 元からどこにもなかったかのようにはできない

 

他人と親しく 長く付き合うほどに 後悔が一つもない関係なんてなくなっていって その関係が終わる度に 誰かにとっての何者かだった自分はいなくなる

 

きっと僕の最後は1人なのだ 他人の何者にもなれないままの人間が 懺悔しながら1人死ぬのだ

 

だから 最後までは 誰かにとっての何者かでいたいのだ

 

 

 

さようなら

それもエビ餃子

 

 

 

 

刹那的に生きることこそが人生だと思っていて 食べたいものがあればお金に余裕がなくても買いに行くし 昼から酒を飲むし 夜まで寝ていたりする

 

友達でも恋人でもない人から快楽主義だと言われた なるほど

 

僕にとってお金は快楽を得るための手段で 積み立てたり 不確定な未来のためにとりあえず貯めるものではないみたいだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10年付き合っている友達に疑われ 否定したら縁を切られそうになった その時は必死になって縁を繋ぎ止めようとしたけれど 今となってはそれが正しかったのかわからない

 

その一件で また少し人生との繋がりが薄れた気がする

 

謝りたくもないのにヘコヘコ謝って 終いにはありがとうなんて言ってしまった 情けない

 

もしかして 世の中の大人はこんな事を日常的にやっているのか? だとしたらとてつもなく可哀想だ

 

 

 

 

 

 

あ〜あ 好きな人と餃子作ってお酒飲みながら食べたい

 

おわり(また途中で飽きた)

1日の中で一番夜が好きだ それも深夜

人の気配がなくていい

 

今住んでいるところは田舎だけど 深夜に煙草を吸いに外に出ても 車の音もしないような所じゃない 実家と似ている

 

 

遠くにオレンジの規則正しい灯りが見えた

 

道路を照らすあの灯りを見るといつも 家族で出かけた日の帰り道を思い出す

母親と姉は後ろで寝ていて 父親と 助手席にいる自分だけが起きている カーステレオからは小さい音で 知らない曲のラジオ

 

あの時間は 今までの人生の中でも かなり好きだ 何をする訳でもなく 何を話すわけでもなく ただ家へと向かう道を眺める

 

 

 

今また 荷物を積んだトラックの音が聞こえた

あのトラックは こんな真夜中にどこから来て どこへ向かうのだろう

 

世の中は自分の知らないこととか 知らない人で溢れていて そのそれぞれが 終わりを迎えるまで動き続けているらしい

 

夜明け前のこんな時間にその果てしなさを思うと なぜかいつも涙が出そうになる

墓参り

祖母の墓参りに行ってきた

6/13が命日なので毎年群馬まで行っている

 

今年は甥っ子と両親と4人だった

母は直売所とパン屋が大好物なので 高速道路は使わず 下道で決まった店に寄りながら向かう

 

長野を通るので 高原レタスを買い 搾りたての牛乳でできたソフトクリームを食べるのが定番だ

 

あと お供え物のたい焼きと仏花を買う これも決まった店だ 

 

たい焼き屋にいつものばあちゃんがいない

かなりの年だったので心配して聞いたら 奥でお勝手をやっているそうだ よかった

 

立ち藤の花と牡丹、菖の花束を買う

色には初夏らしさは無いが お墓に挿すとしっくりきた

 

群馬も梅雨入りしており 雨の中線香をあげる 気持ちばかりの草取りをする たい焼きは供えずに墓石に見せて両親と3人で食べる

 

帰りの車 甥っ子は騒ぎ疲れて寝ている

新しく始めた老人ホームのバイトでよく聴くカラオケの曲とか ビートルズとかを3人で歌いながら帰る

 

 

 

時々 生きていても仕方ないような気がするけど

こういうことが毎年あるならしぶとく生きてやろうと思う 死人が生かしてくれているみたいで変な話だ

 

来年は何の花を花立てに挿すだろう