〜2021 10/2

すれ違う車の影を飛び越えて
宙にいる間だけ全部許して

手のひらの大きさくらいの木漏れ日を
けんけんぱする雀のように

紫陽花に乗る雫の向こうには夏
花びらと同じ色の青空

早歩きの速度で0時の風が吹く
終電車が追い越していく

ストロボとブレーキランプと月灯り
いくつもの影 見えないけれど

だれひとりいない駅前公園で
だれにともなくさよならという

もう二度と会わない君のもう二度と会わない犬の名前はゆぶね

0120 33のなんだっけ ブロードバンド担当木村

平仮名の柔らかさが好き ばあちゃんになでられてるようなきがして

街中にぽつんと目立つ看板の文字を一つも思い出せない

思い出が過去へと変わる瞬間のぬるいサイダーのような悲しさ

でかくなったな 耳がじいちゃんそっくりだ
じゃあこのピアス似合うんじゃね?マジ

さようなら はいさようならの はい が持つ 優しさと地位の高さとあとは

すっぱいな〜 辛いな〜日本にない味だ〜
だけどうまいな〜 なんでなのかな〜

しもやけって しばらく口に出してないな
しもやけかゆい なんか泣きそう

火を落とす 煙草がくゆる指先に 星の降りくる源がある

夜空にも街にもなれずに浮くあれはぽつぽつともるニュータウンの灯

ゆるやかに後ろに流れるオレンジのあかりをくぐる誰かがふたり

送りそびれた長いメールが保護されて宝箱になる畳んだ電話

誰からも忘れられてる道端のキーホルダーを縁石に乗せる

暗くて寂しくて静かで会いたくもない奴もいるこの街が好き

曇りガラスのようなあなたの輪郭を 透き通すようにたしかになぞる

焼け焦げたコンクリートに落ちたピノをまた拾うみたくするようなキス

人生を粉々にしてその中の綺麗なまるい愛をあげます

ばかでかい青と緑の万華鏡まわる惑星見つめるように

おれは悪くないおれは悪くないでも謝った心に帳

眠れない深夜の知らない番組か冬の陽だまりのような恋だった

若者はいつもお腹が減っているそう決め付ける祖母が好きだった

末っ子の僕が今日だけこなごなの祖母を膝に乗せる おかえし

誰にも見つからないように
この街で生きるのもいいな 今日は酔おうか

ずっと渇いていてずっと空っぽだ
吹いた紙風船みたいな心

さみしさは心にあいた穴なのか さみしさ同士で埋まらぬわけだ

趣味じゃない 君の好きだった色がある
おかげで部屋の風水が良い

おふざけで買ったおもちゃの拳銃を 一応大事に包んで捨てた

夢みる頃を過ぎても

眠れなくて 昔のLINEとかTwitterを見ていた

 

辛そうだけど言語センスはキレキレだったり、夢日記みたいなことをしていてかなりよかった

そんな書き散らしを読んでいたら思うところがあったので 残しておこうと思う

 

定職ではないけど職を手にして、食うものにも困らず 出かける時は躊躇わず特急を使うようになった いい酒も飲んだりしている 今までより大きい買い物もできている

 

なのに幸せを感じるのはやっぱり人と遊んだ時だけだ これじゃあ無職の頃と何も変わっていないじゃないか

 

定期収入を得てからというもの 自分のなかから何かが抜け落ちていく感覚がある

明け方に全てをぶち壊したくなる事がなくなった

生きること 死ぬこと 愛の事を考えなくなった

友達と連絡を取らなくなった

ギターを弾かなくなった

急な動悸がなくなった

話に脈絡がなくなった

 

豊かな生活で脳みそのシワを伸ばしていくくらいなら あの頃に戻りたいような気もする

 

 

 

社会のことを知らず のほほんと病んでいたあの頃の輝きは 青春のような澄んだ色じゃないけれど

心の中で 飴色にきらめいている

いつまでも失くしたくないなあ

来世

ボルタンスキーが死んでしまった

 

歌も芸術作品も 作者が死んでしまっても残るという点は素晴らしいものだ

 

ただもう彼の新たな作品を見に行くことはできないのだと思うと 例えようのない悲しみが押し寄せてきた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日亡くなった彼は きっと今頃 紫色に光る来世の門を抜けているだろう

 

死は素早かったのだろうか

 

天国は白く 風が吹けば鈴が鳴っていたのだろうか

 

 

 

悼むことは痛むことだから いずれ薄れていくこのいたみを今は噛み締めていたいと思う

 

黄金に輝く小高い丘の上を 自由で 何者にもおびやかされない電灯になって ゆっくりと揺らいでいてほしいと願う

いつまでもこのまま

実家に帰ってきた

明日免許センターに行って 免許を取得してくる

 

自分にはできないと思っていたことの1つができてしまった

 

 

頭でっかちに考えすぎる自分には そういうことがいくつかある

やってみれば案外できてしまうものだ

 

 

 

 

 

5年ぶりに全くの無職になって 3ヶ月くらい家に閉じこもっていた

何かを考えることもなく 日々とお金を消費して 罪悪感と惨めさだけが残ってしまった

 

 

実家では久しぶりに人とご飯を食べた

甥っ子を寝かしつけ 4人分の洗い物を済ませる

 

外に出て 明日のことを考えながら 親父から貰ったタバコを吸う

カネコアヤノが画面の中で歌っているのを聴いていると 何故かとてつもない幸せに包まれてしまった

 

こういうことで幸せを感じられるんだという発見が未だにあるのは 良いことだ

 

訳の分からない幸せが 六畳でうずくまっていても何も始まらない 人と生きるのが人生なんだと教えてくれる

 

こうやって幸せのかたちを探し続けていたい

いつまでもこのままの自分で

 

さようなら

志村けんでいつまで笑えるだろう

「変」って最近聞かないな、と思う

言わないな、とも思う

 

「変」は「おかしい」とかなり似ている

小学生の頃、街を歩くホームレスのおっちゃんをみんなで嘲っていた 橋の下で寝てたとか いつも嫌な匂いがするとか

自分たちと違うものを排斥してバカにする子供はいつの時代にもいるものだ

 

そんな感性がぼくたちの中にはまだ生きていて、クイズ番組ではおバカタレントの回答を見て笑う

ちぐはぐな受け答えをする漫才を見て笑う

 

 

 

 

志村けんはそんな感性をくすぐる天才だったと思う

 

バカ殿、ひとみばあちゃん、変なおじさん。彼らは子供のぼくらに「変」は面白いという感性をくれた

 

でももうそんな時代ではなくなってしまった

オカマを揶揄して笑いを取る司会者はいない

おバカタレントばかりを集めたクイズ番組も少なくなった

ブサイク芸人もそれだけでは生き残れない

 

もう「変」を笑いにしてはいけないのだ

人にはそれぞれ事情があって今の状態になっているんだから、それを貶めてはいけない…

 

じゃあお笑いはなくなるのか?

ボケてツッコむスタイルはもうウケないのか

 

なくならない

なぜならぼくらの心の底には「変」を面白がる感性があるから

 

この先、「変」は廃れていくだろう

全員が全員を認めていくだろう

それはとても素敵な社会だ

そして「変」は透明になって、志村けんで笑っていた子供たちは大人になる

嫌なことは嫌と言える人は持て囃され、偏見はなくなっていく

いいじゃないか

 

でもぼくの心の中の子供はそれを寂しがっているのだ

 

 

 

志村けんは死んでしまった

ぼくの子供は変なおじさんを見て笑うだろうか

曇りの日

曇りの日が好きだ。

 

どのくらい好きかというと、空全体に薄く雲がかかっているような日、友人に「いい陽気だねぇ」と言ってしまい訝しがられるくらい好きだ。

 

もちろん空は晴れているほうが元気が出るし、陽光に当たれば気持ちがいい。洗濯物も乾く。(ここ数ヵ月はコインランドリーの乾燥機ばかり使っているけど)

 

でも曇りの日が好きだ。風がないとよりよい。

なんと言っても曇りの日は街が静かなのだ。といっても深夜のような、何の音もしない静かさではなくて、さらに言えば大きな音がすると「こんな時間になんだ、誰だ」と気が立つようなものでもなくて、街の音が聞きとりやすい静かさなのだ。

例えば車のタイヤがアスファルトを擦って進む音とか、季節外れの風鈴が鳴る音、鳥が群れて飛ぶ音とか、そういう音。

ぼくの住んでいる街だけかもしれないけれど、曇りの日はひとけがないような気がする。道を行く人もなんとなく元気がない。ような気がする。

 

そんな天気の日に窓を開けて、コーヒーを飲みながら、出先で買った本を読むと、ものすごく気分が良い。

 

 

 

ぼくはあまり溌剌なほうではなく、晴れの日でも部屋に閉じこもることが多い。そして、そんな自分のことがあまり好きではない。晴れの日は早く起きて、午前のうちに洗濯をしたり、溜め込んでいた家事を済ませたりして、優雅な午後を過ごすのが一番良いという考えだけはしっかり持っているからである。

 

だから、晴れの日を怠惰に過ごしてしまうと、「この怠け者が!」と心の中で自分を責めてしまう。そして元気がないまま次の日を迎える。良くない習慣である。

 

しかし!曇りの日はそういう気持ちにはならない。なぜなら普段街をゆく溌剌な人も、曇りの日は何となく元気がない(ような気がする)からである。自分も元気がなくったっていいじゃないか、と思えるのだ。本当は普段から元気はないのだけれど。

 

あれ、もしかしてぼくにとって、予定がない日の天気は、自分を体裁良く甘やかせるかどうかのバロメーターでしかないのか?

 

嫌な気づきを得た

折角の曇りの日なのに元気がなくなりそうなので、今回はここらでやめておくことにする。

 

皆様も、よき曇りの日をお過ごし下さい。

気配 線路 斜陽

今住んでいるところは昔ながらのアパートだ

エアコンには冷房しかついていないし 他の住人が共同のトイレに行けば音ですぐ分かる

お湯を出すにはコンロみたいなスイッチで火をつけなければならない

いかにも昭和の香りがする 床は変なフェルトが貼ってあって中学校の時の音楽室と一緒だし

 

でもこの部屋が好きだ

斜陽が眩しすぎたらコーヒーを入れてやると良い 汚い部屋が映画のワンシーンになる

 

前のアパートはとにかく陽当たりが悪かった

カーテンをひけば夏でも薄暗くて ぐっすりと昼寝ができた

 

それもまあ悪くはなかったけど 今の部屋にいるとずっと誰かの気配がする(怖い話ではない)

他の部屋の住人の出掛ける音とか 外で動く車の音とか 前の部屋ではあまり感じなかったから

 

鬱陶しいときもあるけど 安心するから この部屋が好きだ

 

同級生は皆卒業し どうにもならない自粛の波で誰も遊びに来ない 呼びもしない

 

今 電車が通った 線路がちょうど良く近いのもいい 

 

そのうち空き家を買うか借りるかするので そのときはこの部屋と似た 陽当たりがいい線路沿いの家にしようと思う

 

そこで買ってきた花を枯らしたりしながら 誰かと暮らせたら こころが惨めでも生きていけそうだ