母と子
実家にいる1歳3ヶ月の甥が可愛い。
本当に姉の子なのかと思うほど可愛い。
何をしても可愛い。
笑えば天使のようだし、
ご飯をボロボロこぼしていても可愛い。
そんな甥っ子はよく眠る。車の中、ザブトンの上。この前は床でも寝てしまっていた。でも夜になってもなかなか眠らない時もある。
そんな時、うちの母(甥からすればおばあちゃん)は子守唄をうたう。
眠れ、眠れ、母の胸で、とか
うさぎ追いしかの山、とか
昔からある唄を昔の歌い方でうたう。
姉もたまに歌っているが、どこか茶化して歌っているようで、恥ずかしさが見える。
母の唄い方には恥ずかしさはない。
ただ子供を寝かしつける為だけに唄っている。
その歌いかたは記憶の根底にあるようで、こっちまで落ち着いてしまう。そしてなんとなく懐かしく、寂しいような気持ちになる。
甥っ子に絵本を読み聞かせしている時に、ふと母が「(僕の名前)うまいね〜」と言ってきた。
それがあんまり嬉しそうで、寂しそうな声だったので、こっちまで同じ気持ちになってしまった。
叔父になるのは嬉しいし、寂しい。
うちの母はもうかなりの年だ。
前の東京オリンピックよりも10年近く前に生まれている。
小学校、中学校の頃は歳をとった母親が嫌だった。変なところでケチくさいし、弁当のセンスも今風じゃないし、授業参観に着てくる服が微妙に時代遅れだし嫌だった。
でも高校生になって見聞が広がったとき、母親の言葉の説得力と、今までの苦労がだんだんとわかってきた。
そして同時に、歳を取っているということは、同年代と比べて早く死ぬ、というそれまでもどこかで考えていたことに対して向き合い始めた。
成人した今でも、実家に帰ればいってきます、とおやすみ、は欠かさず言っている。
それが最後かもしれない、と心のどこかで思っている。後悔したくないのだ。
一方姉の方はいわゆるロクでもない母親だ。
旦那とは離婚調停中で別居している。
ほぼシングルマザーなのに、
子供を他の家族に任せて携帯を弄っているし、
子供の前で怒鳴り散らすし、
癇癪持ちで子供を置いてすぐ家を出ていく。
その割に、
私に懐いていない、なんて事を言う。
そりゃそうだろ。
父も母もロクでもないが、甥っ子には幸せになってほしい。
姉にも幸せになってほしいけど、それは本当に難しい事だと思う。
大人になってから考え方を変えることの難しさは充分わかっている。
これが甥っ子の運命だといえばそうかもしれないけど、それじゃあまりに不幸すぎる。
甥の人生を背負うほどの覚悟もない僕は、甥がその運命をはねのけられるようになる事をただ祈って、強くなれよ、と願いながら、できるだけまっすぐに接している。
名前通り、陽のあたる方へ翔けていってほしい。
おしまい